孤独の砂丘 ズィルト島

 

ドイツの北のさいはてに、釣り針の形をした、細長い島がある。見渡す限りの砂丘と潅木に、海からの強い風が吹きつけてくる。ドイツ人にとってズィルト島は、海辺の保養地の代名詞である。私と同じアパートに事務所を持っていた歯科技工士も、毎日義歯を加工する細かい作業の連続で、視力が低下したため、三週間ズィルト島で転地療養し、真っ黒に日焼けして帰ってきた。塩分を含んだ風が常に吹きつけるズィルト島は、喘息など呼吸器系の病気を持った人にとっても、適した療養地である。

この「クアー」つまり転地療養は、日本ではあまり一般的ではないが、トーマス・マンの「魔の山」に見られるように、ドイツではごく普通に行われており、またきわめてドイツ的な制度である。ドイツの会社や役所では、三十日つまり六週間の有給休暇が保障されているが、病気になって医師が「転地療養が必要」と判断した場合には、この休暇以外に、数週間にわたって山岳地帯や海岸地方に行き、指定された療養用ホテルに滞在して治療を受けることができる。この際泊まるホテルには、医師や看護人がおり、医療設備も整えられている。たとえば三週間喘息の治療のために、療養生活を送ったとしても、その間の治療費ばかりでなく、ホテルの滞在費までも、原則として健康保険でカバーされる。

また療養のために会社を長期間休んでも、その間の給料はふつう支払われる。企業の活動に全く寄与しない、療養中の社員に対しても、何週間にもわたって給料が支払われるという制度は、日本人の目には、企業にとって過重な負担を強いているように見える。しかし、これはドイツのサラリーマンや労働者が勝ち取った権利であり、ビスマルク以来の高福祉国家の伝統なのである。もちろん規則は厳しく、医師に指定された療養用ホテル以外の場所に泊まったり、保養地で連日連夜酒を飲んで遊び回ったりしていることが万一会社にわかると、即刻解雇される恐れがある。(私は、実際にクビになった人を知っている)このように権利と義務がきっちり規定されているところが、ドイツらしい。

さてズィルト島は全長わずか三十七キロメートルの小さな島である。このため自転車を借りて、北から南まで走ってみると良い。海と砂丘だけの荒涼とした風景の中で何日か汗を流せば、都会での憂さはきれいさっぱり忘れることができるだろう。

またちょっと面白いのは、ズィルト島と本土を結ぶヒンデンブルグ堤防である。一九二七年に作られたこの堤防の上には、鉄道線路が敷かれているので、自動車ごと貨車に乗り込んで、本土から島へ渡ることができる。線路の両側は見渡す限りの海。その真ん中を、列車が走って行く。北海の強い風を利用して、風力発電を行うための巨大なプロペラが、茫漠たる海岸に林のように立ち並んでいるのが見える。運賃はやや高いが、車の中に座ったまま、海の上を突き進んでいくという体験は、やってみる価値がある。

保養地ズィルト島の砂浜の風景に欠かせないのが、「浜辺の籠」と呼ばれる屋根付きの二人がけベンチである。強風が吹いたり雨が振ったりしても、海岸の風景を楽しむことができるように、座席がすっぽりカバーで覆われて、小部屋のようになっている。ベンチの下には引き出しが二個付いていて、靴や本などを入れることが出来るようになっているのも、空間をむだにしない、ドイツらしい道具である。ベンチといってもきわめて重く、一人で運ぶことはできない。このため、ベンチを借りる時には料金を払って番号札をもらい、砂浜を歩いて、その番号が書かれた「籠」を探しに行くことになる。このベンチに座って見ると雨風を避けるだけでなく、周りの観光客たちから、自分たちを隔離する効果があることもわかる。このベンチが浜辺に無数に立っている風景は、なんとなく個室が海岸に並んでいるようにも見える。つまりドイツ人たちは観光地に来ても、他人に干渉されない、自分たちの領域を厳格に守ろうとしているのだ。その意味で「浜辺の籠」は、個人主義が強いドイツらしいベンチと言える。

さてズィルト島は、千年前には本土の一部だったが、海水に侵食されて陸地から切り離されたものと考えられている。毎年島を訪れる六0万人の観光客からの収入で潤っている島民たちには悪い報せだが、この侵食活動は今も続いており、ズィルト島は北海の荒波によってどんどん削られている。島が毎年失う砂の量は、百万立方メートルに達すると言われる。特に北海に付き物の暴風雨が島を襲うと、大量の砂が奪われていく。一九八五年に嵐が島を襲った時には、北部のリストという村で、砂丘が高波によって崩され、公民館から五十メートル離れていた海岸が、建物のぎりぎりの所まで迫ってしまった。南部には陸地の幅が一キロ程度しかない所もある。このためドイツ政府は、毎年四五0万ユーロ(約五億四000万円)の費用を投じて、海底の砂をポンプで吸い出し、陸地に戻す作業を続けている。こうした努力も、自然の猛威の前には焼け石に水かもしれない。もしも地球の温暖化で水位が上昇するとしたら、島の侵食に拍車がかかる恐れもある。

人々に愛されているズィルト島を生んだ自然が、島そのものを呑み込んでしまうかもしれない。あと何世紀か後にこの美しい島が海中に没しているとしたら、たいへん残念なことである。